― 失敗を設計するという考え方 ―
あなたなら、どうしますか?
最終回裏の攻撃。同点、1アウト2・3塁。バッターは九番打者。
あなたが監督なら、この場面でスクイズをしますか?
多くの指導者が「スクイズ」を選ぶ場面かもしれません。確実に1点を取りに行く。勝利を目指す采配として、理にかなっています。

でも、僕なら打てのサインです。
「お前で決めてこい」と言います。
僕のチームの方針:バントの練習はするが、サインは出さない
まず前提として、僕のチームではバントの練習はします。
なぜなら、上のカテゴリーに行ったときに困らないようにするためです。
ただし、バントのサインは作りません(少年野球限定)。
試合で僕がバントのサインを出すことはないからです。
子どもたちには、打てる選手になってほしい
僕が野球をやらせている理由は、打てる選手になってほしいからです。
バントをさせるために野球をやらせているわけではありません。
実際に、僕の息子の試合で4打席中3打席バントという試合がありました。本人はサインだからと言って、なんとも思っていないようでしたが、僕からすると「バントやらせるために野球やらせたわけじゃないのにな」って思います。
小学生にバントを多用するチームって正直、勝ちたいだけの勝利至上主義だと思いませんか?
ただし、選手の判断は尊重する
セーフティバントなど、バントが得意でやりたい選手はいると思います。
だから、バントは自分の判断でやってもいいことにしています。
ここで問題が生じます。
スクイズだけはランナーの協力が必要です。だから、もしスクイズをしたいなら、タイムをかけて僕のところに来てもらいます。
ランナーとともに打ち合わせをして、「〇球目に一発勝負」というふうに決めます。
それがチームの決め事です。
失敗を設計する:スクイズをしない理由
では、なぜ僕はスクイズのサインを出さないのか。
それは、失敗したときに、何が次につながるかを大事にしているからです。
もし、スクイズをして失敗したら
スクイズを試みて失敗した。そのまま延長戦に入り、結果的に負けたとします。
次にチームが考えることは、
「スクイズの練習をしよう」
「もっと確実に決められるようにしよう」
という方向になるでしょう。これは、とても自然な流れです。
では、打たせて負けたらどうなるか
同じ場面で、打たせた。結果は凡打。次の一番バッターも凡打。試合は負けた。
このとき、次に考えることは何でしょうか。
「打てるようになろう」
「もっと強いスイングをしよう」
「バッティング練習をしよう」
これもまた、とても自然な流れです。
どちらの失敗が、次につながるか
僕は、バント練習に一生懸命になるなら、バッティング練習に一生懸命になってほしいと思っています。
なぜなら、子どもたちには**「打てる選手」になってほしい**からです。
これが、僕の言う失敗を設計するという考え方です。
勝ったとしても、次に残るものは何か
指導者や親として、「あそこでスクイズしていれば勝てたのに」と思う場面はあるかもしれません。
でも、もし打って勝てたなら、その経験は選手の自信になります。次に同じ場面が来たとき、胸を張って打席に送り出せる。
一方で、スクイズで勝った場合、次もまた同じ場面でスクイズを選びたくなりませんか。
成功しても失敗しても、次の選択肢がスクイズに固定されていく。それは、成長の幅を狭めてしまう可能性があります。
失敗を繰り返さないのがスポーツなら、失敗を設計するのが育成
スポーツの原則は、「同じ失敗を繰り返さないこと」です。
だからこそ、どんな失敗を経験させるかが重要になります。
成長発達段階にある子どもたちには、結果よりも、次につながる失敗を経験させたい。
打てない選手に、スクイズのサインを出している限り、ずっと打てない選手をあなたのサインがつくってしまうのです。
それが、僕がスクイズのサインを出さない理由です。
大人ができることと、子どもができることは違う
大人ができることと、成長途中の子どもができることは、同じではありません。
これは当たり前のようで、指導の現場では驚くほど簡単に忘れられてしまう前提です。
大人の正解は、子どもの正解とは限らない
プロ野球選手や大学生が取り入れて、飛距離が伸びた、球速が上がったと評価されている技術の多くは、成長が止まり、十分な筋力が備わった身体を前提にしています。
成長発達段階にある子どもたち(骨端線がまだ閉じていない身体)に同じことをさせれば、
- 肘や肩への過度な負担
- 思ったほど効果が出ない
- 無理な動作が癖として残る
こうしたリスクが現実に起こります。
YouTubeで見た技術を、そのまま子どもに当てはめる危うさ
技術情報が簡単に手に入る時代だからこそ、「それを誰に使うのか」が問われます。
100歩譲って、親が自分の子どもに責任を持って行うならまだしも、他人の子どもに「良かれと思って」成長発達を理解しない指導をすることには、僕は強い違和感を持っています。

子どもは、自分の変化にすら気づいていない
成長過程の子どもたちは、昨日までの感覚で動こうとして、同じつもりでやったのに失敗します。
それは努力不足ではありません。身体や感覚が変化している途中だから起きる失敗です。
そこに大人が「ああしろ」「こうしろ」と口を挟めば、子どもはさらに混乱します。
精神的な成長は、さらに不安定
特に中学生前後、二次成長期では、
- 心と体の成長のアンバランス
- 感情の起伏
- 自己コントロールの難しさ
が普通に起こります。
僕ら大人も通ってきた道なのに、指導する立場になると、その感覚を忘れてしまいがちです。
だからこそ、指導者には「軸」が必要になる
成長過程の子どもと向き合うには、誰に対しても、どんな場面でも変わらない軸が必要です。
言葉のかけ方や対応は変えてもいい。でも、判断基準だけはぶれてはいけない。
軸は一つである必要はありません。
成長過程の子どもに、何を残すのか
失敗は、ただ失敗を許すだけでは足りないと思っています。
- 失敗を許容する
- 失敗をコントロールする
- 失敗を設計する
この視点が、成長発達段階の指導には欠かせません。
失敗を設計し、成長の邪魔をしないこと。
それが、僕が考える成長過程の子どもと向き合う、指導者としての在り方です。
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