僕は、老いと向き合うのはまだまだ先のことだと思っていました。
しかし、救命センターに自分と同じ歳の患者さんが運ばれてくるたびに、それはもう未来の話ではないのだと気づかされます。
45歳を目前にして、人生の折り返し地点はすでに過ぎたのかもしれない。
そんなことを考えるようになりました。
救命センターで見える「生き方の結果」
僕が働く救命センターには、自分と同じ年代、時にはもっと若い方が、心筋梗塞や脳卒中で運ばれてきます。
そうした現実を目の前にすると、「どう生きてきたか」がいよいよ身体に現れてくる時期に入ったのだと実感します。
ファーストフード、塩分や糖分の多い食事。
運動習慣の有無。
睡眠。
ストレスとの付き合い方。
若い頃は多少無理をしても身体は黙ってついてきてくれました。
しかし、この年代になると、そうした日々の積み重ねが、少しずつ病気という形で現れ始めます。
もちろん、同じような生活をしていても病気になる人もいれば、ならない人もいる。
かなり気をつけていても発症してしまう人もいます。
結局のところ、何に感受性が高く、どこに負荷が現れやすいかは人それぞれ違う。
身体は一人ひとり、異なる反応を返してくるのだと思います。
自分の身体に起きはじめた変化
僕自身、若い頃から野球をやっていたこともあり、体力には自信がありました。
そこそこ走れたし、持久走も得意でした。
逆立ちして歩けたし、首跳ね起きも朝飯前でした。
ところが先日、子どもに見せようとして久しぶりに首跳ね起きをやってみたら、できないどころか首を痛めてしまいました。
知らないうちに身体は衰えていたのだなと、じわっと実感しました。
気力や集中力については、今のところ大きな低下は感じていません。
しかし、体力や筋力の低下はごまかせません。
さらに最近は、人の名前がすっと出てこないことも増えました。
顔も場面も浮かんでいるのに、名前だけが出てこない。
ヒントを口にしながら、最後は誰かに答えを言ってもらうこともあります。
誰かの名前を呼ぶ時は、間違えないよう名札やプレートを確認してから声をかけることも増えました。
ドクターヘリで感じた柔軟性の低下
今いちばん身に染みているのが、柔軟性の低下です。
普段ストレッチをしていても、自分ではそこまで硬くなった感覚はありません。
しかし、少し無理な体勢で物を取ろうとした時などに、今まで意識したこともない筋肉が突然つるようになりました。
伸ばし方すらわからず、痛みに耐えながら角度を探すこともあります。
しかも僕の場合、この現象はドクターヘリの機内という特殊な環境で起こりやすいのです。
狭い機内。
不自然な姿勢。
緊張した状態。
そんな中で筋肉がつっても、その場で活動を止めるわけにはいきません。
痛みに耐えながら動き続け、少し落ち着いたところでようやく「どの角度なら伸びるのか」を探してアフターケアをする——そんな場面が、現実として出てきました。
老いを嘆くのではなく、生き方を問い直す
本当に怖いのはここからです。
こうした、これまで意識してこなかった筋肉たちを、今後つらないようにするにはどう鍛え、どう伸ばせばいいのか。
自分の中に、まだその手段がありません。
タバコも酒もやりません。
ですから、その影響による病気のリスクは比較的低いかもしれません。
それでも、目に見えない老いは確実に進んでいます。
問題は、その変化を感じていながら、まだ対抗する術を十分に持っていないことです。
ただ闇雲に生き抜いていくには、もう若くない。
だからこそ今、これは単なる老いを嘆く話ではなく、自分のこれからの生き方を問い直す時間なのだと思っています。
身体と向き合うことは、衰えを認めることではありません。
これから先も自分らしく動き続けるために、身体との付き合い方を見直すこと。
それが、45歳を前にした今の僕にとってのテーマです。
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