経歴
2007年杏林大学医学部付属病院看護専門学校卒業
2007年4月〜2011年3月杏林大学医学付属病院(救急、整形外科、緩和ケア)
2011年4月〜2015年3月札幌医科大学附属病院(救急)
2015年4月〜信州大学医学部附属病院(救急)
主な資格
看護師、救急救命士、危険物取扱者乙4
(財)日本ライフセラピスト財団 認定コーチング、カウンセリング、恋愛アドバイザー、目標設定シニアアドバイザー
県DMAT、特定行為研修(術中麻酔管理パッケージ)
2007年から看護師として働き始め、3つの大学病院を転職を経験しました。
主に高度救命救急センターで、初療治療〜重症集中ケアを中心に活動し、フライトナース、DMAT活動などを行っています。そのほかの経験としては、最初の病院で整形外科病棟や緩和ケアなどの経験もしています。(実はこの経験が意外と強みになっている。)
看護師1年目は僕の人生で最大の挫折でした。入職前の看護部との面接で「救命センター以外なら退職したい。」と豪語して救命センターに入職したにもかかわらず・・・。
17時に仕事終わって、記録の指導を受けたり、勉強会などに出席して、帰宅するのは22時を過ぎることも多々あった。そんな中で、夕食を簡単に食べて、1時間ぐらい次の日のために勉強して、睡眠を少しとって(早朝覚醒あり)、また出勤。そんな生活を続けていたら、半年でうつ状態となり、「看護師辞めますか?病院辞めますか?部署移動しますか?」の選択に追い込まれていった。
当時の看護部長さんから「今まで頑張ってきて、潰れないうちに打ち明けてくれてありがとう。来月から部署を移動するね。それまで休んでもいいけど、残り15日ぐらいどうする?」と声をかけてもらい、なんとか残りの勤務を頑張って、部署移動させてもらった。
当時は僕も若く、真面目すぎで、完璧主義で、八方美人で誰にでも好かれようと、嫌われている先輩にも必死に話しかけて、心擦り減らし、そんなに頑張らなくてもよかったなぁ、と思う部分もある一方、あんな辛い経験は、後輩の看護師には絶対させてはいけないと思う経験でもあった。
その後、家族の都合もあり転職を繰り返し、現職に至る。
ここまでの経験と年齢を重ねて、少し視野が広がりつつあり、大学病院としての地域における役割なども、考えられるようになった今日この頃。
今では、信州最後の砦として役割を全うするために、どのようにレベルアップし続けるかというテーマに日々仕事に取り組んでいる。そのためには、永続的に、効果的に人材育成をしていく必要があると考えるようになり、医療や看護の知識だけではこと足りず、現在ではコーチングを学んだり、NLP、成人学習、経験学習、リーダシップなど人材育成のために学びを深めている日々である。
コーチングとは、看護界でも最近よく聞くようになってきたが、意外と誤解していることが多く、うまく実践に行かせていないのが現状だと感じる。コーチングとは何か、人材育成にどのように結びついているかなど、学びの一部を少しでも共有できればと、このホームページを運営している。