― 正解のない子育てで、立ち戻る軸 ―
「徳積み」という言葉を知っていますか?
皆さんは「徳積み」という言葉を耳にしたことがあるだろうか。
一般的には、「良い行いを重ねること」「善行を積むこと」、そんな意味で使われることが多いと思う。
でも、僕がこの言葉を聞いたとき、説明してくれた人の内容は少し違う感覚だった。
たとえ巡り巡って自分のためにならないと分かっていても、それでも誰かのためになることをやり続けること。
僕にとっての「徳積み」は、そういう行いだった。
どこか「ペイ・フォワード」に似ている気もする。ただ、ペイ・フォワードが「誰かに良いことをする」イメージだとしたら、徳積みはもう少し広い。
誰かのためだけでなく、自然のため、環境のため、もっと大きな何かに向けた行いにも使われている。そんな印象があった。

あなたなら、どうしますか?
場面1:夜道の空き缶
道端に空き缶が落ちている。夜中で、周りは暗い。誰も見ていない。
あなたは拾うだろうか。それとも、見て見ぬ振りをするだろうか。
ゴミ拾いの最中なら拾うかもしれない。地域清掃のときなら拾う人も多いだろう。誰かに見られていたら拾う、という人もいるかもしれない。
では、誰も見ていなくても拾う人は、どれくらいいるだろう。
場面2:駅の階段の老人
駅の階段の下で、大きな荷物を持った老人がいる。その駅にはエスカレーターもエレベーターもない。
あなたはその人に気づいた。少し離れたところには駅員もいる。でも、駅員はその人に気づいていない。
あなたならどうするだろう。
声をかけて手伝うだろうか。それとも「誰かが助けるだろう」と思って通り過ぎるだろうか。
日常にあふれる小さな選択
こういう場面は、大小の違いこそあれ、日常の中にいくらでも転がっている。
これらの小さな行いを「徳積み」と呼ぶのが正しいのかは分からない。でも、少なくとも僕の中では、空き缶を拾う、老人を助ける、こういう行いこそが徳積みだった。
そして、武士道には「徳」という概念がある。
武士道における「徳」とは
ただし、武士道における「徳」は、一般に言われる徳積みの「徳」とは、少し意味合いが違う。
武士道の徳とは、
- 人としての在り方
- 生き方
- その人が大切にしている信念や、軸、柱のようなもの
だから本来、「積む」という表現は、少しおかしな感覚でもある。
でも、僕はこう思った
どんなに立派な信念や軸を語っていても、それが行動として現れていなければ、中身のない人と変わらないのではないか。
そう考えると、徳とは「言動の積み重ね」でもあり、その人の徳を見るということは、どんな言動を積み重ねてきたかを見ることなのではないか。
言い換えれば、「徳を積んできたかどうか」なのではないかと思うようになった。
そんなことを考えるようになってから、僕は武士道に興味を持つようになった。
武士道を知れば知るほど、これは形こそ変われど、日本の中に今も静かに残っている文化なのではないか、そう感じるようになった。
子育てに正解はない、だからこそ
子育てって、正解がないですよね。
僕もこれまで、「怒らない、叱らない子育て」を実践してみた時期がありました。でも、正直うまくいきませんでした。
叱らないといけない場面は、確実にあります。「怒らない」と決めていても、怒ってしまう時だってある。
人間だもの。笑
多くの子育て論は、方法論
多くの子育ての話を見ていると、そのほとんどが方法論だと感じます。
- 頭のいい子に育てたければ〇〇をした方がいい
- 自己肯定感を高めるには〇〇してはいけない
でも、これらはすべて方法論です。
本来、子育ては、
子どもの個性 × 親の個性 = 子育ての形
になるはずです。
それなのに、多くの方法論は、この前提を無視して、「親の関わり方」だけを切り取っています。
子どもによっては、褒めるだけではうまくいかないこともある。叱るだけでもダメなときがある。
誰かが成功した方法論が、係数の違う他の家庭でもそのまま通用する。そんなはずはありません。
方法論を手放した先に残ったもの
じゃあ、方法論に頼らずに子育てをするとしたら、何を拠りどころにすればいいんだろう。
そう考えたとき、結局ここに立ち戻りました。
「子は親の背中を見て育つ」
じゃあ、僕の背中って何だろう。僕の在り方って何だろう。僕が生きる基準って、何なんだろう。
子どもに聞かれたとき、あるいは子どもに説明するとき、自分は何をよりどころに語れるんだろう。
だから武士道を、子育ての軸にした
その問いに向き合ったとき、「これなら頼れる」と思えたのが、武士道でした。
武士道は、子どもをどう動かすかの方法論ではありません。
親として、
- どう在るか
- どう振る舞うか
- どんな基準で生きるか
を問い続ける考え方です。
方法論に振り回されそうになったとき、感情に飲み込まれそうになったとき、静かに立ち戻れる「軸」になる。
だから僕は、子育ての中に武士道を置くことにしました。
もちろん、これは育児だけの話ではありません。僕自身の生き方そのものにも、武士道は深く宿っています。
これから語っていくこと
武士道の細かな話は、次回から一つずつ触れていこうと思います。
義、勇、仁、礼、誠。
それぞれを、子育てとどう関係してくるか。
正解のない子育ての中で、それでも折れずに立つための話を。
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