― 武士道が教える、子どもを縛らない「礼」 ―
「礼儀正しくしなさい」
「挨拶はちゃんとしなさい」
「失礼のないようにしなさい」
子育てをしていると、「礼」という言葉は本当によく出てくる。
でも、
礼って、そもそも何なんだろうか。
頭を下げること?
敬語を使うこと?
大人の言うことを聞くこと?
もし「礼=言われた通りに振る舞うこと」だとしたら、
それは子どもにとって、少し息苦しい徳目になってしまう。
武士道における「礼」は、行動の型ではない
武士道における「礼」は、単なるマナーや形式の話ではない。
新渡戸稲造は『武士道』の中で、礼について次のように述べている。

「礼の最高の形態は、ほとんど愛に近づく」
そして、礼とは「他者への思いやりを、適切な形で表現すること」であり、
「社会における人間の正しい位置と相互関係を理解すること」だと説いている。
私はこれを、
礼とは、他者を尊重する心を、行動として表すことだと解釈している。
つまり、礼は「相手がいる」ことが前提だ。
自分より偉い人にだけ礼を尽くすのではない。
弱い立場の人、年下の人、意見の違う人に対しても、
どう接するかが問われる。
ここで大事なのは、
礼は「従属」ではない、という点だ。
礼と服従は、まったく違う
子育ての現場で、礼が誤解されやすいポイントがある。
それは、
礼=大人に従うこと
になってしまうこと。
でも、武士道における礼は、上の者に従うための道具ではない。
むしろ逆で、
- 自分の感情を暴走させない
- 相手を一人の人間として扱う
- 力を持つ側こそ、節度を持つ
こうした「自制」と「尊重」の徳が、礼だ。
だから本来、
一番礼を求められるのは、力を持つ側だ。
親であり、教師であり、指導者であり、
大人である私たちのほうなのだ。
これをみて「一気に読む気が失せる・・・。」ってなった方は要注意です!
「礼」を教える側が、一番「礼」を理解していない矛盾
子どもが少年野球をやっていた頃、グラウンドでこんな光景をよく目にした。
監督やコーチが子どもたちに「礼儀を守れ!」「挨拶をしっかりしろ!」と厳しく指導している。
でもその同じ指導者が、
- 子どもが話しかけても、聞く耳を持たない
- ミスをした子を、みんなの前で怒鳴りつける
- 自分の機嫌で態度を変える
- 保護者や審判に対して、横柄な態度を取る
そんな姿を見るたびに、強い違和感を覚えた。
「礼」を一番厳しく指導している人が、実は一番「礼」を理解していない。
これは、少年野球の現場だけの話ではない。
学校でも、家庭でも、習い事の場でも、同じことが起きている。
子育てや教育の場面で一番大切なのは、
指導する側の姿勢・態度・背中ではないだろうか。
口だけで指導しても、実際に自分ができていないことは教えられない。
もしあなたが指導者や親として、
「なかなか子どもたちが自分の言う通りに行動してくれない」と感じているなら、
今一度、自分の行動を見直すチャンスかもしれない。
これは、私自身への問いでもある。
子どもにとっての「礼」は、安心の設計図
子どもにとって、礼は「評価されるための行動」ではない。
本来は、
- この人は、僕を乱暴に扱わない
- この場所では、安心して話していい
- 意見を言っても、頭ごなしに否定されない
そう感じられる、関係性の土台だ。
親が感情的に怒鳴り、
言うことを聞かせるために「礼儀」を持ち出すと、子どもはこう学ぶ。

「礼は、怒られないための技術なんだ」
それは、人を尊重する力ではなく、
空気を読む力だけを育ててしまう。
礼とは、「他者を尊重する心を、行動として表す」こと
武士道の礼は、この言葉に尽きる。
相手を下に置かない。
同時に、自分を下に置くこともしない。
だから礼は、とても静かで、強い。
- 怒鳴らない
- 見下さない
- 嘲笑しない
- 無視しない
これらをしないという選択そのものが、礼だ。
子どもは、
「言われたこと」より「扱われた記憶」を覚えている。
どんな言葉で叱られたかより、
どんな態度で向き合われたかを、ずっと覚えている。
礼は、教えるものではなく、映るもの
礼は、「教え込む」ものではない。
「ほら、こうしなさい」と型だけをなぞらせても、心は育たない。
子どもは、親や指導者の振る舞いを見て学ぶ。
- 親は、感情的になったときどうするか
- 間違えたとき、謝れるか
- 相手の話を、最後まで聞くか
その姿が、そのまま子どもの「礼」になる。
日常で実践できる「礼」の具体例
では、親として、日常でどう「礼」を体現すればいいのか。
いくつか具体例を挙げてみたい。
【子どもが話している時】
- スマホを置いて、目を見る
- 「ちょっと待って」と言う前に、一度立ち止まる
- 「それで?」と続きを促す
【子どもの意見に反対する時】
- まず「そう思ったんだね」と受け止める
- 頭ごなしに否定せず、「お母さんはこう思うけど、どう?」と対話する
- 子どもの考えを最後まで聞いてから、自分の意見を伝える
【自分が間違えた時】
- 「ごめんね、さっきは言い過ぎた」と素直に謝る
- 「お母さんも完璧じゃないから、一緒に考えさせて」と正直に言う
【子どもの前で他者と接する時】
- 店員さん、配達員さんに「ありがとうございます」と丁寧に伝える
- パートナーに対しても、感謝の言葉を口にする
- 意見が違う人にも、敬意を持って接する
これらは、特別なことではない。
でも、子どもはこうした日常の姿から、「人との関わり方」を学んでいく。
完璧である必要はない。
気づいた時に、立ち止まって、やり直せればいい。
子育てにおける「礼」のゴール
子育て・教育現場における礼のゴールは、
行儀のいい子をつくることではない。
- 自分と他人の境界を尊重できる
- 意見が違っても、人を粗末にしない
- 力を持ったときに、乱用しない
そんな人間を育てることだ。
礼とは、人として生きるための尊厳であり、
人間関係を壊さないための知恵だ。
最後に
もし、
「ちゃんとしなさい」
「失礼でしょ」
と言いたくなったときは、
一度立ち止まって考えてみてほしい。
今、自分は
- 礼を教えようとしているのか
- それとも、従わせようとしているのか
この問いは、私自身にも向けられている。
完璧な親である必要はない。
気づいた瞬間に、軌道修正できればいい。
礼は、子どもを縛るための言葉じゃない。
子どもが、他人と、そして自分自身と穏やかに生きていくための、
一生ものの土台だ。
【あなたへの問い】
今日、子どもとの会話の中で、
一つだけ意識してみてください。
「子どもが話している時、最後まで聞く」
それだけで、子どもは「尊重される」という体験をします。
その体験が、子どもの中に「礼」の種を植えます。
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